INSERT COIN(S)

PUSH START BUTTON

一橋大学を卒業した;休息について

 一橋大学を卒業した。来年度からは東工大の大学院に行く。

 

+++  

 

 夜空を見上げるとつい星座を探してしまうように、生活を振り返るとどうも強烈な光景ばかり省みてしまうことがある。ところが、この4年間に何があったんだっけとよく考えてみれば、素晴らしいと思える瞬間は意外な頻度で発生していたように感じる。それでも思い出せるのは体験のほんの一部でしかない。とはいえ、仮に全てを記憶することができたとしても、思い出されることで初めて意味を持つものこそが記憶だと思う。だから書く。記憶は平和な魅力を湛えている。

 

 例えば、駅から駅まで、電車に乗らず歩いたことがある。中央線に沿う道は定規で引いたようにまっすぐで、曲がり道はない。地形上、その道は風が強く吹き、常に寂しさを感じさせた。いつ夕焼けがセンチメンタルの象徴になったのだろうか。道すがら、先週読んだ本の話がされる。およそ人が死ぬ小説の話だ。通過する電車の騒音によって、会話は掻き消され、中断される。一回目と二回目で表現を変える行為がこそばゆい。立体交差線が日光を遮断する。子供がふざけながら影を踏み抜く。既に自分から集団下校や秘密基地は失われている。とにかく自分はチェスターコートの襟を立てながら本の話をして、そこで初めて触れた作家や考え方があったのだ。これは間違いなく素晴らしい光景だったと感じる。

 

 この両手が命の間に救えるものは少ない。平成が終わる間際に思うのは、知識が現実化するスピードがどんどん加速していることだ。元号が変わることも、東京オリンピックが開催されることも、震災も、かつては教科書で学ぶ対象だった。同年齢の就職や先輩の結婚や友人の死も同じだ。現実はいつだってカオスで、突然眼前に降下してくる。
 現実がせわしないからこそ、自分たちは本気で剣を振り続ける。人生は短い。振るった剣を途中で仕舞うことはできなくて、刃に触れるたび他人は傷つくし、こちらの手も痺れる。それでもまた刃を研ぎ、剣を振るう。
 世界に何らかの刀痕を残そうと懸命にもがいている人を見てから自身を見つめると切なくなる。過去の自分を思い出す。そう考えながらも、どうしようもなく駅を往復することばかりしている。ビデオゲームをしてみたり、一度読んだ本を再読してみたりして、一日を終える。アルバムを眺めて昔の自分に顔をしかめつつつも、旧友と連絡を取ったりする日もある。

 

 剣を振り続けることそのものを目的化してしまうと、仕事と人格が一体化してしまう。悪とは言わないが、恐ろしく感じる。こうなると、作曲家が音楽を純粋に楽しめなくなるように、ビジネスのコードが人間関係にまで侵入し、やがて腐食させる。彼らは「またいつか会おう」と言って別れていってしまう。では、以下のことを考えてみよ。私たちは言葉という剣を振るう。言葉は発射されれば二度と取り消すことはできない。しかし、それでもずっと互いに仲直りしてきたからこそ、あなたには友人や恋人がいる。彼らを彼らのまま思い出すために私たちが行うべきことは、ただひとつ。休息だ。

 

人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。わたし達はパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない。

國分功一郎『暇と退屈の倫理学

 

 刃研ぎの提供者だけが私たちの味方ではない。余暇の語らいによって、物事が非線形な成長を遂げることもあると思う。そうした時間を削って剣を振り続けろと宣言する者がいるならば、無視してやろう。モラトリアムを終えようとも、社会の波が大きかろうとも、意識的に人生にバラを添えたい。それは部室でギターを鳴らして歌ったように、安酒を片手に将来を考えたように、電話しながらスライドを詰めていったように。剣を握り続けることを強要する息苦しい現代において、真に私たちに寄り添うのは、休息の時間を共有する友人の温度なのだから。

 

 私たちはずっと金曜日を繰り返し、適当な距離で思い出しながら進んでいく。

 

卒業式の兼松講堂

卒業式の兼松講堂

大学図書館の大閲覧室

大学図書館の大閲覧室

大学図書館

大学図書館

部室からの景色

部室からの景色