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はてな戻り

色々考え、ひとまずはてなに戻ってきた。

noteは内向きの文章を書くには向かない。どうしてもいいね!を気にしてしまうUIで、型に嵌ったものしか書けなくなってしまう。

言葉は情報伝達ではなく、記憶思い出し装置として使いたい。そのようにして今がある。

最終的にははてなもやめ、個人サイトに移行したい。いいね!やブクマではなく、信頼できる人のうちで言及しあえるような、肯定でも否定でもないような曖昧な空間にいたい。一時のtumblrがそれに近かったように思える。

noteに書いた最初の文はこれ。

元々ははてなブログの住人だった。noteは、どこかビジネスめいた雰囲気が反転して、些細な出来事や仄暗い事柄を記すことを敬遠させているように思える。現在の文章には即効性ばかりが求められるようになった。普段歩いている道の途中でわざわざ立ち止まり、路肩に生えている木の表面に触れて、冷たい水を吸い上げている感触を確かめようとする人は、現代にどれだけいるか。日常を語る語彙は、我々から失われつつある。ライブ感がない。

言葉を情報伝達の手段に制限するのはもったいないと感じる。脈絡のない会話に対して、否定も肯定もせず曖昧にうなずくような感覚を保ちたい。公と私を適度な距離感で往復しながら、たまに金曜日の放課後を思い出す必要がある。

 

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今日はヴァン・ヘイレンが死んだ。初めてウイスキーを飲んだ時、かっこつけてTake Your Whiskey Homeを聴いていた


Van Halen - Take Your Whiskey Home

 

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仲間内で池袋の中華に行く。茶館。上で書いたようなことを薄々と話して解散。ひとりがブログを始めると言っていた。感性を熟成させる。

結果的に長いことTwitterで自分の内心に肉薄する話はしていない。Twitterのコードに沿った、外向けの、意味のない何かをうにゃうにゃ言っている。言われてみりゃ確かに、閉塞感で感性が死んでいく。

感性が死んだので - (ここにブログ名が入る)

 

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はてなから離れていた時期はこのようなことがあった。

 

2020/7/23

論文を読み終え、コーヒーを淹れにキッチンに行ったとき、母が癌であると知った。午後5時だった。この家は新しく建ててから4年しか経過していなかった。

病院や保険会社などの主要な関係先に連絡したあと、車を出そうとする父と少し会話した。「運転は慎重に、雨だから」なんて実際的なセリフは、振り返れば自分の姿には似合わなかったように感じる。

自室に戻り、PDFを開いているウィンドウを閉じた。現状をうまく理解し言葉にするには、多くの情報と時間が必要だった。グーグルクロームを眺めながらも、悲しみは自分の元に去来しなかった。ただしこれは、自分にあてがわれた振り子が、何日もかけてようやく一振りするような巨大なものだからだろうと思った。初めて振動を捉えるのはいつか。