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20180301 卒業シーズン

姉の卒業式がそろそろらしく、いそいそしている。

近いうちに卒業する人々を見るとき、やがて必ず失われるという事実に一生懸命目をそらして装いながら笑っている、といった感想を抱いてしまう。日常を過去の棚にしまい込まれる日に際して、それは卒業式とかに限らずもっと一般的な文脈で、日常を簡単に諦める人間は、単に変化に対する実感をその日の中で得られなかったからなのだろうと思った。

人々が新しい生活や新しい日常に慣れようともやもやしている。その気持ち自体は、思春期に何度も感じたことがあるようなものな気がした。春は出会いと別れの季節という美しい文言があるが、これは置いていき、置いていかれる季節という否定的な一節に換言できる。この言葉に沿ったとき、おそらく置いていく側は常に無自覚なのだろう。自分が置いていった人間たちを容赦無く忘れながら、置いていかないでくれという言葉を喉に詰まらせる季節。過去として日常を収納した棚には喜びとか希望とかだけではなく、もっと別のものも紛れている気がした。

月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして という歌があった。